2017年03月27日

『地域に入る』ということ

[気仙沼出向生活1400日目 残り5日]

被災地暮らしを4年間してきたことで、少なからず「地域に入る」という経験をさせてもらった。地方創生が叫ばれる昨今、少なからず地域に関する仕事をしていきたいという方も最近多くなってきていて、

「どうすれば地域での仕事をうまくできますか?」

といった質問をもらうことが最近多くなったので、自分ごときの経験だが他の方に何か参考になればと思うのでもうこのブログも終わるので少し書いておこうと思う。
特に都会の人はとかく仕事の成果へのプレッシャーなど難しく考えがちで逆に動けない方も多いように思うが、それは本人にとっても地域にとっても一番残念な結果だと思う。
自分の場合は最初の半年くらい全く自分たちでできる仕事なんかほとんどなかった。
そりゃ誰かもわからない、何ができるかもわからないヤツと仕事をしようと思う人なんかそもそも誰もいないんだから当たり前といえる。
(会社には申し訳ないが最初から土台無理だと思ってやや開き直ってたところもあった。)
そんな状態でどうしようかと思ってた時に偶然、自分が住んでた仮設住宅には畑があってスペースが空いてるからやってみないか?と声をかけられた。

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やることもないし大して仕事で貢献できないならこんなことでもやってみようとやり始めたのが最初のきっかけ。

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訳わからないまま耕して苗を植え、毎日朝夕水をやり、休みの日には草刈りをしてたら

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アレヨアレヨと言う間に苗が育って夏頃からたくさんの収穫物で溢れるようになった。

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調子に乗ってスイカやアンデスメロンも育てて見たりした。

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たぶんやってる本人のおかげでなくただただ土と水と空気が良かったんだと思う。
ただ当時やることもなくそんなことを日に日にブログにあげてるうちに、それが一部で知られ始めて「都会から来て気仙沼の仮設に住んで畑やってる変なオッさん」という感じの名札をもらえた。
これが「地域に入る」最初のきっかけだったように思う。
さらに初年度の夏に気仙沼のお祭りを見にいったところ衝撃を受けた。
気仙沼みなと祭りのメインの船の上で太鼓をたたく祭りがメチャクチャカッコいい!

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そこで地元の方に来年は自分もあそこに入らせてもらえないかとお願いして見たところ有難くも翌年から気仙沼JC(青年会議所)に入れてもらえることになった。
そして翌年夏には昨年憧れだったその船の上で今度は自分が法被を着て太鼓を叩くことができた。

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この頃には、「みなと祭りで太鼓も叩く気仙沼に知り合いの多い支援員」という名札に知らない間に変わっていってたように思う。
こう書けば、さも最初から地域にどう入っていくかの戦略だったように聞こえるかも知れないが、残念ながらそこまで賢くなかった自分にとっては全てが結果論、、(笑)
要は単純に気仙沼に興味を持ってそれを実行しただけ。
それくらい気仙沼は自分にとって魅力的な場所だったが、振り返ればそれが大事なんだと思うし、そういう存在の人間をどんどん地元の方がサポートしてくれたように思う。
地域に必要な知識を学ぶために大学やセミナーに多く出る人もいるが、個人的にはその知識やスキル以上に大事なのは現地そのものの魅力に純粋に興味を持つことのように思う。
特に自分の場合は都会の人間なので、気仙沼の文化・慣習がいちいち興味深かった。
そしてそんなことに興味を持ってると向こうからいろんなことを教えてもらえるようになった。
あとで思えば『地域に入る』ために大事なことは「郷に入りては『興味を持って』郷に従え」の気持ちが重要なように思う。純粋に『興味を持って』生活できたらこれほど面白いことはないと思う。
住む文化、着る文化、食べる文化、働く文化、休日の文化、、いろいろ地域独自の文化があるのでそれらを知れていくことでさらに興味の幅が広がってくる、そう考えられる人はきっと地域に向いてるように思う。
ただこれらは狙ってやったのではなく全てただの結果論、、(笑)ではあるがこれから地域に入っていきたい方の参考になればと思いまとめておくことにする。




posted by インディ at 01:14| 宮城 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

仮設住宅暮らし

[気仙沼出向生活1399日目 残り6日]

4年間の気仙沼での生活の中で貴重な経験だったと思うことの1つに仮設住宅での過ごした経験というのがある。

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最初仮設住宅に住むと聞かされて正直ビックリしたのを覚えてる。
しかもその仮設住宅すらも本来は被災者が住むところであり、外から来るものが住むべきでないという考えが基本なので『特例だ』というふうに言われたのを覚えてる。
自分以外は津波で家を流された方しか住んでないところで生活していくという緊張感は最初相当重かった。
東北が初めての自分にとって、そしてこの仕事がどんなものになるかが全く想像できない自分にとっては物凄く不安になったのを覚えてる。
山奥にある仮設住宅だったので他に住んでる人はほとんどおらず、薄い壁は隣どころかその隣の部屋の音も聞こえるし、

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夜になると獣の声や仮設を何かが叩く音が聞こえたり、

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部屋の中に虫や蜘蛛の巣があるのは日常だし、

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冬は寒すぎて仕事から遅くに帰って来たらカーテンが凍ってたり、ある日帰って来たらこんな張り紙貼ってたり、、

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極め付けは大雪の日に道が凍って車ごと畑に突っ込んだこともあったり、

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最初の数ヶ月は日常になれるのが精一杯で正直自分が支援職員と言われるのが辛かった。実際は自分が支援されてる方だったから。。

ただ結果的にはその生活があったから今があると今は思う。
思い返すと当時出会った方に自己紹介をすると最初はそんなにリアクションをいただけないことが多かったが、

「今、仮設に住んでまして、、」

と伝えると途端にビックリした顔になり感謝されてその方との仲が急速に深まったのを思い出す。
当時いろんな方々が全国から復興支援に来ていた中で、地元から見れば支援者と言いながらもいい方もいれば悪く見える方もいるようで一概にウエルカムなムードでなかったが、仮設住宅に住んでるということをお伝えすると途端に、

「そうなの?そこまでしてくれて、本当にありがとう。」

となって会話が急に親しくなってその後のお付き合いに発展することが多かった。
また仮設には談話室という住民のコミュニティスペースが用意されていて、そこで時折飲み会が開かれた。

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ほとんどが高齢者な中、当時30代の私は息子を見るような目で可愛がって頂いたが、その場からもらった震災の情報やノウハウもその後を思えば本当に大きかった。
個人的にはいつも悩んだら一番濃い経験ができる選択肢が結果的に一番本質的だと思って生きてきた自分からするとこの経験は本質的だったと思う。
結局この山奥の仮設住宅には約1000日住むことになったが今でもここに住めたことが気仙沼での生活をより充実したものにしてくれて本当に感謝している。

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posted by インディ at 09:26| 宮城 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

この経験で得た3つのこと

[気仙沼出向生活1398日目 残り7日]

昨日は毎朝のお勤めテレビ会議ブイキューブでのイニシアティブ出向者全員と発起人の方々の集まる最後の集まり。
東京、仙台、気仙沼、大船渡、釜石を結んで何があっても4年間毎朝あったこのテレビ会議。
いろいろ送別会などありましたがこのテレビ越しで最後の挨拶をするというのが実は今までの何よりもこの出向が終わるんだなあと感じる瞬間のように思えた。
考えてみれば経済同友会各企業から一人ずつ出向してきた人同士が市役所でチーム組んで毎日テレビ会議をしながらプロジェクトにあたるってメチャクチャ不自然な光景で多分もう2度と経験することのない機会のように思う。
そう言えば4年前初めての日は回線の調子が悪く、初めて繋がった時は、おぉー!、って騒いだだけだったのを思い出すし(笑)、市役所生活の最初の一週間があまりに慣れなくて気仙沼、大船渡、釜石メンバー全員で急遽金曜夜に集まって

「そっちはどうよ?」

と飲んだのもいい思い出(笑)
最後の挨拶で泣かれる方もいたり、本当に大きな成長の機会だったことを話される方がいたり感慨深い場。
その中で最後に言われたセリフが感慨深かった。

「君たちはこの日常の会社の業務では絶対にできない出向経験で3つのことを手に入れた。ひとつは仕事。この仕事は君たちにしかできないもの。ふたつ目は第二の故郷。この街は皆にとってかけがけのない街になった。三つ目はやった人間にしか見えない風景。その風景は本人にしか見えないしやった人間にしかわからない。」

確かにそう思う。
この3つはこの機会でなければいただけなかった経験であり財産だと思う。

そして夜は市役所の方々からの送別会。
民間から来た世にも奇妙な集団を送り出してくれた市の方々にも感謝です。
写真はお世話になった津田参事。
実は同じトラキチということがわかりました、、^_^

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posted by インディ at 11:19| 宮城 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする