2017年03月11日

住んでる間に迎える最後の311

[気仙沼出向生活1385日目 残り20日]

今日は311。
自分として被災地に住んでて迎える最後の311。
未曾有の災害が起こった日であるとともに日本中が今の世の中や当たり前の暮らしに、このままでいいのか?と疑問が湧き生き方が変わった方がたくさん生まれた日。
あれから6年、自分もあの日以降生き方がすっかり変わってしまったその一人として今日を迎える。

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あの日から丸2年後の2013年に気仙沼に赴任して仮設住宅での生活を始めた。
震災当日による価値観の変化もさることながら、その後のこの被災地での仮設住宅での生活にまた価値観を変えられた。
山奥に、薄い壁を隔てただけの簡素な仮設の部屋で、津波で自宅を流された方々と生活をさせてもらった経験は言葉では言い尽くせないほどたくさんものを学ばせて頂いた。
当時は都会からの復興支援ではなく、現地のこの場で生活しながら何か地元の役に立てることを探すというこの環境はすごく辛かった。
役に立つどころか集団生活にうまく溶け込めず怒られてばかりで、ぶっちゃけ言えばただの足手まとい。
特に名札もない人間にできる仕事らしい仕事なんてほとんどなかった。
仕方なく途方にくれてた時に偶然仮設の方からの勧めで始めた畑。
何もできることがないならせめて自分のものは自分で作ろうとやり始めたらどんどん収穫できて、いっときは「畑のブログを書いてる外人風のオジサン」という名札で町にようやく溶け込んでいけたように思う。

あれから4年、まもなくこの街での出向生活を終えるに当たって思うのは本当にこの街に住めて良かったということ。
この街の方々から東京のビジネスアニマルだった自分は生きる意味を教わった。
ビジネスアニマルとしての『成長』は語れても、何のために人は生きてて『成長』するのか、なんて考えたこともなかった。
だから本当にここで住めたことやここで起こった出会いには感謝している。
ただその理由が6年前のこの日に起こったこの災害がきっかけなのだということだけが本当に皮肉なこと。
間違いなく6年前の今日がなければ自分は気仙沼の地名も知らずに死んでいってたと思う。
自分にとっては人生を変えてくれた運命的な日。なのに決して祝うことのできない日311。
正直、気仙沼に住んで以降一年のうちでもっとも複雑な気持ちになる日。
住んでる間に迎える最後の今日ですが、
亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。
そしてこの日をきっかけに出会うことができた皆様に心より感謝します。

写真は安波山からの311ヒカリ。
天に届く3本の矢がなんとかキレイに撮れました。

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森 成人
posted by インディ at 19:48| 宮城 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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