2017年03月27日

出向者チームからの学び

[気仙沼出向生活1401日目 残り4日]

出向生活あと4日なので自分たち地域出向者のことについて少し学んだことを書いておきたいと思う。
自分たちは、東北未来創造イニシアティブという経済同友会傘下の企業からの出向者によって構成されたチームで派遣されたプロジェクトだった。

7A381644-12EB-4E97-BBF9-D68325168202.jpg
被災地気仙沼にある日突然、企業出向者6人のデスク島がしかも行政の庁舎の一角にできるという光景は正直最初はどう考えても浮いてる以外なかったと思う。

DA24CAD3-BFE9-4167-BD98-64679068F041.jpgD5924BBE-BDDD-47BC-A1DD-BD67222D7AA7.jpg

たぶん過去例を見ないプロジェクトで我々はもとより派遣元や受け入れ側も含めて初めての取り組みでいろんなことが社会実験に近かった部分もあったと思う。
こちらも戸惑ったが受け入れ側の方々もたぶん相当戸惑ったように思う。
そこからいろいろあって4年、今回で終わりになるがこの座組に関して自分なりに学べたこと。

まずよかった点は、
何より複数のチームで取り組めたこと。大抵出向は一人ということが多いが、1つの目的の元に事前研修と送り込んだプロジェクト側から一定のマネジメントを受けながらことに当たれるというのは、仕事のパフォーマンスも相当上がるように思う。

1BE54C79-C851-4CDF-81D8-6944B0038EB6.jpg

それに今回の座組は首長の深いコミットを頂いた上だったので、地域でどうしていいかと埋もれることなく徐々にアウトプットが出てくるようになったのは我々の個人の力というより座組の秀逸さがあってこそだったと素直に思う。
自社内でも話したが、目的によっては今後出向案件を企業が模索する際の1つのモデルとして検討できる座組だとは思う。
そして人材育成道場を中心とした人材育成メソッドは地域だけでなく自分たちにも大きな影響を与えられたと思ってる。

ただ苦労したことも正直多かったと思う。
一番はさまざまな企業から集まった方々で協働することの難しさ。会社のルールや常識があまりにも違う出向企業同士だとルールの統一を図るのはかなり難しいし、現実的に不可能なようにも感じた。
また同じプロジェクトといいながら人事考課はプロジェクト側でなく各社に委ねられてることでどうしても公平感を保ちにくい側面もあったと思う。
個人的には承認欲求には鈍感なタイプだが、それでもこのプロジェクトの中に流れるスパッと公平に言語化できない組織環境から起こるハレーションには悩むことも多かったし、他のメンバーも苦労が多かったように思う。
結果として時限組織であることは賢明でその後どう地元に装着できるかが肝のように思う。
このプロジェクトは今週で終わるが、この組織運営についての是非や得られた知見は是非今後も地域派遣のノウハウとして活かされてほしいと思う。
難しいことも書いたが、
ただこんな有難い経験ができた運の良かった一人の人間と思うのは、ここで得られた出会いと仲間は一生もので今後も連絡を取っていきたい同志だと感じていること。

CB58E9D6-545F-46F0-AC36-AD1B1CBB6526.jpg

確実に自社内より視野は広がるし、異なった会社の方とのストロークにより解決の視点は上がる。
そして何よりそういう方々と飲む酒は話題も豊富でオモシロくて美味しい。

6E26CDEE-DB92-4F49-8CE1-B7CB87292163.jpg

いろんなご迷惑や至らないところがあり個人的には相当ご迷惑をかけてしまいましたが、今回出会えた仲間には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に4年間ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

森 成人

posted by インディ at 23:14| 宮城 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『地域に入る』ということ

[気仙沼出向生活1400日目 残り5日]

被災地暮らしを4年間してきたことで、少なからず「地域に入る」という経験をさせてもらった。地方創生が叫ばれる昨今、少なからず地域に関する仕事をしていきたいという方も最近多くなってきていて、

「どうすれば地域での仕事をうまくできますか?」

といった質問をもらうことが最近多くなったので、自分ごときの経験だが他の方に何か参考になればと思うのでもうこのブログも終わるので少し書いておこうと思う。
特に都会の人はとかく仕事の成果へのプレッシャーなど難しく考えがちで逆に動けない方も多いように思うが、それは本人にとっても地域にとっても一番残念な結果だと思う。
自分の場合は最初の半年くらい全く自分たちでできる仕事なんかほとんどなかった。
そりゃ誰かもわからない、何ができるかもわからないヤツと仕事をしようと思う人なんかそもそも誰もいないんだから当たり前といえる。
(会社には申し訳ないが最初から土台無理だと思ってやや開き直ってたところもあった。)
そんな状態でどうしようかと思ってた時に偶然、自分が住んでた仮設住宅には畑があってスペースが空いてるからやってみないか?と声をかけられた。

5C0AC43D-12D4-445A-8E63-444E4F751FC0.jpg

やることもないし大して仕事で貢献できないならこんなことでもやってみようとやり始めたのが最初のきっかけ。

7C277F05-FD51-48E2-A0A9-1879BAD80B13.jpg

訳わからないまま耕して苗を植え、毎日朝夕水をやり、休みの日には草刈りをしてたら

B9847930-6AF0-4752-AF61-A9665387D9FE.jpg

アレヨアレヨと言う間に苗が育って夏頃からたくさんの収穫物で溢れるようになった。

DB320D54-A272-4A4B-AAFE-B9855B6AC23B.jpg5E9CF013-A341-432A-B6CE-E1B29C3BADC6.jpg

調子に乗ってスイカやアンデスメロンも育てて見たりした。

A924C494-D330-4BFB-AA62-2CF8E0910588.jpg

6554FD4C-6AC0-4DFF-980D-B188C504993E.jpg

たぶんやってる本人のおかげでなくただただ土と水と空気が良かったんだと思う。
ただ当時やることもなくそんなことを日に日にブログにあげてるうちに、それが一部で知られ始めて「都会から来て気仙沼の仮設に住んで畑やってる変なオッさん」という感じの名札をもらえた。
これが「地域に入る」最初のきっかけだったように思う。
さらに初年度の夏に気仙沼のお祭りを見にいったところ衝撃を受けた。
気仙沼みなと祭りのメインの船の上で太鼓をたたく祭りがメチャクチャカッコいい!

4704E49E-B966-456F-9660-EEF84BD5A712.jpg

そこで地元の方に来年は自分もあそこに入らせてもらえないかとお願いして見たところ有難くも翌年から気仙沼JC(青年会議所)に入れてもらえることになった。
そして翌年夏には昨年憧れだったその船の上で今度は自分が法被を着て太鼓を叩くことができた。

534C0506-BDDA-4BBE-883E-1C4B6AA900DD.jpgF79E1800-8B5A-4E3D-958E-B94612BD5777.jpg020950AA-D13E-4FC2-BB4A-D6CE5431BDB3.jpg71C22BD9-9C6B-4C03-91BF-A14F2F9B250D.jpg

この頃には、「みなと祭りで太鼓も叩く気仙沼に知り合いの多い支援員」という名札に知らない間に変わっていってたように思う。
こう書けば、さも最初から地域にどう入っていくかの戦略だったように聞こえるかも知れないが、残念ながらそこまで賢くなかった自分にとっては全てが結果論、、(笑)
要は単純に気仙沼に興味を持ってそれを実行しただけ。
それくらい気仙沼は自分にとって魅力的な場所だったが、振り返ればそれが大事なんだと思うし、そういう存在の人間をどんどん地元の方がサポートしてくれたように思う。
地域に必要な知識を学ぶために大学やセミナーに多く出る人もいるが、個人的にはその知識やスキル以上に大事なのは現地そのものの魅力に純粋に興味を持つことのように思う。
特に自分の場合は都会の人間なので、気仙沼の文化・慣習がいちいち興味深かった。
そしてそんなことに興味を持ってると向こうからいろんなことを教えてもらえるようになった。
あとで思えば『地域に入る』ために大事なことは「郷に入りては『興味を持って』郷に従え」の気持ちが重要なように思う。純粋に『興味を持って』生活できたらこれほど面白いことはないと思う。
住む文化、着る文化、食べる文化、働く文化、休日の文化、、いろいろ地域独自の文化があるのでそれらを知れていくことでさらに興味の幅が広がってくる、そう考えられる人はきっと地域に向いてるように思う。
ただこれらは狙ってやったのではなく全てただの結果論、、(笑)ではあるがこれから地域に入っていきたい方の参考になればと思いまとめておくことにする。




posted by インディ at 01:14| 宮城 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする